2012年03月12日

3,11東日本大震災から1年


未曾有の大災害、東日本大震災から1年、死者、行方不明者19000人、
34万人がいまだ避難生活を強いられ、家族離れ離れは3割、仕事を失ったままの人が4割。激震、津波に加え、人災により引き起こしてしまった原発事故が、復興を想像以上に困難にさせている。あのとき、私達は『自分に何ができるだろう』と思った。「忘れないこと」と
言った人がいた。応援しよう、支えよう、実際に何かしてあげたい。瞬間の情動でなく、ずっと忘れずに思い続けること。大切だと思います。
昨日、14時46分、あなたは何をしてましたか?
起立して鎮魂の祈りを捧げましたか。

あの3・11を境に「世界」が一変しました。
東日本大震災と、それに続く東京電力福島第一原子力発電所の事故は、日本にとって太平洋戦争以来の大きな試練となりました。 

残念だったのは地震発生後の政府の対応が、阪神淡路大震災のときから一向に進歩していなかったことです。ともかく手を打つのが遅い。迅速な被災地支援が行われなかったばかりに、津波から逃れた高齢者が避難所で何人も亡くなったというニュースを聞いて愕然としました。

 災害発生直後は、何はさておいても人命救助にあたるとともに、救援物資を被災者に届けなければなりません。阪神淡路大震災のとき、元伊藤忠商事会長の瀬島龍三さんが医師や看護師、医薬品、食料を積んだ旅客船5隻を神戸港に回すことを内閣に提言したことがあります。そのときは実現しませんでしたが、相当に有効な方法ではないかと思います。
 地震発生直後は道路はズタズタになっており、陸路から救援物資を届けることは難しい。しかし、海路を使えば、容易に被災地に近づけます。しかも、東日本大震災では海岸に近い地域に被害が集中しました。海から接近すれば、ダイレクトに被災地に乗り込むことができたのです。
 津波被害があるとわかった時点で、10〜20隻の旅客船をチャーターし、医療スタッフ、医薬品、食料、燃料などを積み込み、ただちに岩手、宮城、福島の3県に向かわせて欲しかった。港湾が破壊されて接岸できないなら、海上自衛隊の上陸用船艇を活用してもいい。ベターと思われる方法を即座に実行すべきでした。

 その点、米国は、さすがでした。医薬品、食料を積んだ原子力空母ロナルド・レーガン、その随伴艦チャンセラーズビルはじめ艦船20隻以上が三陸沖に集結、第7艦隊の1万2750人が捜索や物資輸送、ガレキの撤去などにあたりました。
 ロナルド・レーガン(乗員5600人)は韓国との合同軍事演習のため、太平洋を航行中で、地震発生の翌々日の3月13日には三陸沖に到着、以来1カ月にわたって自衛隊などと協力し、休みなしに救援活動にあたりました。

米軍の水際立った対応を見ていると、「危機管理」の重要性をつくづく感じました。湾岸戦争、イラク戦争など数々の戦争を経験した米国は、危機管理に関しては日本の2歩も3歩も先を行っています。優れたリーダーシップを発揮し、難局を乗り越える危機管理の手法や兵站のやり方などを、日本政府も大いに学ぶべきです。

この「ともだち作戦」は、アメリカ軍による作戦ですが、日本政府の要請の前に軍が動いていた、
日本政府より早い情報収集によって、太平洋艦隊司令官、パトリック・ウオルシュ司令官の危機における素晴らしい対応、放射能を恐れずスピーディーな任務遂行し多くの東北の人たちを助けたのか
「感謝」と「感動」です。
posted by 山田壽雄 at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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